創作とか言う呪い
これは個人の創作観、その他コンプレックスやその他もろもろに基くお気持ち怪文書です。
という最重要な注意喚起をあらかじめ入れておく。
そもそも:私の創作経験について
創作を始めた経緯は後述するので、まずは手を出した(というかオリジナルでやったことのある所謂創作活動)を一通り列挙する。
・小説(占ツクでない)、短歌、都都逸、川柳
・イラスト(鉛筆、ボールペン、水彩、色鉛筆、カラーペン、デジタル)
・作曲(ピアノ、DTM)
・漫画(デジタル、未だ二話しかない)
・演劇(役者、脚本演出)
・声劇(効果音入れたり間の調節したり音声編集まで、自作台本)(というかいわゆるボイス)
・手芸(刺繍、アクセサリー、レジンなど)
嘘だろ………………
こんなに節操なしに手を出していたのかと全力で首を傾げた。
残念ながらマジである。演劇や声劇以外なら多分大体Twitterの公開アカウントに作品を上げている。ピアノはちょっと微妙だけど。
じゃあタイトルなんなん??????
「呪い」。まぁインパクトは強い言葉だ。
でも私にとって創作というものを表すのにこれ以上的確な単語はない。
ここからは完全に「底辺創作者の過去とコンプレックス語り」なので体調を崩しそうな人はぜひとも自分の体調を大事にしてほしい。インターネットなんてそんなものだ。
・「創作」を始めてしまったきっかけ
ここで言う「創作」とは、習い事などではなくて「自分の意思で始めたもの」ということにしておく。そうじゃないとピアノに関しての話がややこしくなるから。
そもそも初めての創作は二次創作(小説)だった。
それも棲み分けが必要になるタイプの。要はベーコンなレタスである。ちなみに某目をほにゃほにゃするナンタラなプロジェクト。
当時、齢10歳。
「えっ?????????」という感じだろう。わかる。私も思い返すたびになんでだよとツッコみたくなる。
書いた理由は友人だった。
通っていた塾で同じクラスの顔も声もかわいいし大人っぽかった子。
とても頭がいい子だった。おとなしめの子だった。
ある日の夜、授業の前だか後だか忘れたけれど、自習をしていた時。
「ねぇ、小説とかって書けたりする?」
突然すぎる。びっくりしたけど頷いてしまった。そして明かされる腐女子。動かせるタイプのメモ帳でそういう文化に触れてすでに腐敗していた私。インターネッツの英才教育恐るべし。そんなわけで私が始めた書いた小説はBなLの二次創作(なぜか過呼吸ネタ)。片鱗どころか本性がガッツリ出ている。
ここまででツッコミどころが多すぎる。しかし全てに触れていると余裕で一日語り明かせてしまうので控えることにする。
そしてしばらく時は経つ。というか、支部にどっぷりつかっていたものだから自分が書く必要性を感じなかった実質「半年(実際は五年以上)ROMれ」の期間だ。おかげさまで古のオタクが見るだけで爆散して死んでいく「占ツク小説」の書き手になることはなかった。危ないところである。
さて、ここからが今に至る話。
今のように急激に創作をするようになったきっかけは紛れもなくTwitterであると断言できる。高校に入ってからの話だ。
というか、これまた友人宛に書いた今度はイケメンな日本刀が乱舞しているゲームの二次創作かっこベーコンレタスがきっかけ。天丼である。
まぁハマった。創作という行為に。
もともと人と話したりという「対・個人で自分の思想や感情を伝える」ことが苦手だったので、インターネットの世界があまりにも生きやすかった。
不特定多数の人に見られる場。自分が見る・見ないを自由に取捨選択できる場所。
はゎゎ生きやすい………………という感じであった。
さて、前置き及び過去語りはここまでである。
・「呪い」という認識に至るまで
数字というものは暴力である。
多かろうが少なかろうが、どちらにせよ振り回される人はとことん振り回されるし動じずにいられる人は永遠に泰然自若としている。
ここまでの感じでわかる通り、私は圧倒的に前者である。
もうここまで言えばわかるだろう。
私の今までの創作は、何一つとして一目でわかる評価をもらえたためしがない。
そりゃそうだ。ぽっと出の素人、それも何の才能もセンスもない上に創作をすることを後押しされた経験がない(むしろ「そんな何にもならない物よりまともなことをしろ」と怒鳴られてばかりの)甘ったれ女子高生附属属性メンヘラ。救いようがない。
書いた小説はいいねが20もらえればいい方、絵なんてもっと下のレベル、そもそもフォロワー自体全然いない。
わかってはいるのだ。タグやらなんやらでコミュニティに積極的に関わりに行ったり、自分からコミュニティを作ったりという努力が足りていない。
でもなんか違うじゃないか。
そんなの、いかにウケるものを書くかじゃないか。
私にはそれができなかった。自分の好きなものしか書けなかった。
「それはそれでいいこと」という意見ももちろんある。というか、強制されていない創作活動なんだから身内の中で褒められていい気分になってもいいのだ。なんなら創作自体をやめたって良かった。
でもそれすらできなかった。
なんでかって、私にとって、創作が呼吸みたいなものになってしまったから。
イヤーワームというものがある。
簡単に言うと、頭の中で音楽がぐるぐると鳴り続ける現象だ。
私は、それと同じことがいろいろなところで起こる。
例えば話の構成。たとえば文章や歌詞、曲のフレーズ。メロディー。たとえば漫画のコマ割り、イラストの構図、色の組み合わせ。アクセサリーのイメージ図。
そんなものが、所かまわず浮かんでは消える。ほかのことに集中したいときに限って。
そしてそれはどこかに書きだしてしまうまで頭の中で回り続ける。厄介極まりない。
だから私は筆を執って、書いて、この世の中にどうにか残しておきたいと思ってしまうからインターネット上にあげて。しかし勿論ながら脳内にあるものをそっくりそのまま出力する力量などない。底辺たる所以である。
そして底辺ゆえの評価のつかなさに心を刺されまくる。
やってることだけ見ると本当に馬鹿らしい。
でもやめられないのだ。よろしくないお薬のような感じまである。
しかしこの行為をやめさせてくれるプログラムなんてない。
だから、呪い。
酷い話である。早急にバグ改善のパッチが欲しい。
・呪いの加速
突然だが、私の周りにはすごい人がたくさんいる。
文字書きのフォロワーで言うと「気付けば文字数の単位が万……どうして……」と言っていたりする人やら投稿した小説にいくつも三桁以上の評価をもらったり賞賛のタグ、ひいては感想が寄せられている人。
絵描きの友人で言うととあるジャンルのまぁ半公式みたいな人にファンアートをRTされている友人、賞をいくつもとっているのはほぼ当たり前だしフォロワーも五桁に行っていたりする友人。
これは自分語りだが家族も学歴が非常に高く、ついでに私の実際の頭の出来にはかかわらず幸か不幸か私が通っている学校はいわゆる進学校。私の成績はぶっちゃけめっちゃ悪い。
そして私は自分の外見や中身、声、その他おおよそすべてに関してコンプレックスだらけ。
創作物でも勉強でもほかの能力でも、評価がもらえるような素晴らしいものはない。
つまり、私は自分の持っているもので周りの人に勝ち得るものを何一つとして持っていない。
こんな環境で何が起こるか。
アイデンティティーの崩壊くらいたやすいってもんである。
私の代わり?そんなの相手に失礼だ。だって周りの人はみんな私より優れているから。代わりではなくて上位互換のエクストリーム版みたいなもんだ。生きるのに向かなすぎる。
でも筆を折ったところで自分が苦しいだけ。
書く。描いて、作って、奏でて、歌って、インターネット上に懲りずに上げる。
評価がつかない。
それに対してよく好意的に話してくれるフォロワーや友人たちは更新するたびにいいねの数が増えている。でもその人たちは相変わらず優しいしいい人たちばかりだ。もちろん大好きではあるが、胸中でどす黒い何かが渦巻くことと相手に好意を抱くことは並立できる。
そして絵や何かの下書きなんかが家族の目にたまたまちらと入る。来るのは否定の言葉だけだ。
メンタルが削れないわけがない。
こんなの、呪いにしても甚だしすぎる。
一体前世で何やったんだ、私は。
こんな感じである。
誰だったかは忘れたが「生きにくそう……」という感想をもらったこともある。
全くその通り。生きにくい。
しかも昨今色々なところでランキング入りする小説はいわゆる占ツク系の、正直「義務教育の敗北」といいたくなるものが増えている。三点リーダーが句読点二つで代用されているもの、地の文が入っているのに台本のようにセリフ前にキャラ名が表記されているもの、「bad」が「but」になっていたりと純粋に打ち間違えているのか何なのかわからない基本的な英語の間違いさえもなおされないものエトセトラエトセトラ……
どれも読みやすいと思う人がいるから伸びているんだろうなとは思う。つまりは自分で見ないという選択をした方が自分にとってはいいと思えるものばかり。
でも、なんだかしんどいじゃないか。
文法も記号の使い方も表現も、少しずつ試行錯誤して「もっと面白いものが書けたら」と夢想していた自分がばかばかしく見えてくるじゃないか。実際馬鹿なのだろうけど。
流行りのジャンルに乗っかればどんなものを書いても評価される。悔しいじゃないか。
「何かを残してみたい、誰かに見て欲しい」と思って人気作品を読んで傾向や表現を学ぼうと思って、見に行って、抱いた感情がこんなぐちゃぐちゃどろどろした、下手したら誹謗中傷にしかなれないこれだ。
そう簡単に数字や感想、創作という呪いから解き放たれるならここまで苦しくなかった。
なんで創作なんて始めてしまったのかと後悔する日々である。
要するに、私も一目見てわかる数の評価が欲しかったなというだけの話だ。
そんなものをここまで冗長に書いてきた。
念のため最後に予防線を張っておくが、ここまで書いたことに誰かを批判しようという意図はない。強いて言うなら自分自身に対する批判だ。
それでは、ここまで読んでくれた方に最大限の感謝を表してこの記事を締めさせてもらう。
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