「演じている時の方が楽」という感覚
丁度今日、18歳になった。
どうせだから今の自分の根幹にあるものについて少し書こうかなと思って文章を打ち込んでいる。
これは、才能も実力も時間も金もないのに演じることに焦がれてしまった馬鹿な子供の日記である。
私は自分が嫌いだ。
今まで自分が積み上げてきたもの、自分の容姿、自分の性格、自分の声、とにかく自分の持っているもの全てが。
だからまずはひとつ主張させてほしい。
演劇とは、自分のことが好きだからという理由で始めるとは限らない。
全ての人がそうとは言わないが、そう考えている人は案外いるのだ。現に私の親がそうだった。
「そんなことをやっているから馬鹿なんだ」「まともなことをしろ」と何度も言われた。
「勉強が出来ないのなら今すぐ部活をやめろ」とも。
たしかに高校生の本業なんて勉強に過ぎないのかもしれない。
でも、私はそれが嫌だった。
ここでタイトルに戻る。
私は、演劇をしている間が一番生きやすかったのだ。
それについて話そうと思う。
そもそも、なんで演劇部に入ったのか。
中学の時は吹奏楽部だった。クラリネットとバスクラリネット。人の少ない、コンクールなんかにはそもそも出ないような学校の吹奏楽部。
楽しかった。
音楽も、自分の楽器も大好きだった。
でも私は高校で演劇部に入った。
何故か。
もともとやりたかったからだ。
詳細は流石に省くが、事情により小学6年生の時に具体的で変わることの無い「将来の夢」を決めないといけなくなった。
生まれ育った国である日本にとどまるか否か、という選択まで迫られた状態で。
今思うと歳が2桁になってそう時間の経っていないタイミングでそんなもの決めさせるなという感じではあるが。
私はどうしても日本に留まりたかった。
声優に憧れたのだ。
その時はただ「憧れ」という感情で説明がついた。
しかし中学生で進路について考える時に真面目に考え直す機会が来た。
私が出した結論は、「やっぱり声優になりたい」だった。
私は、私じゃない誰かになりたかったのだ。
だって、私は生きるのに不向きすぎた。
家庭環境は自分からすれば結構キツイもので、でも客観視するとただの「ありふれた不幸」を「稀によくある」感じでいくつか重ねて経験するはめになっただけの、グレたり世を儚むにはどことなく弱いものでしかなくて。
それを客観的に見てしまったが故に自分の心の弱さだとか無価値さみたいなものまで知ってしまった。
まだ15にもならないひねた目線だけが育ってしまった友達が比較的少ないクソガキが。
当然誰にもそんなこと言えない。
生きにくさと周りとの価値観の違いだけしか私にはなかった。
私は、自分でいることが何よりも苦しかった。
現実を現実と受け止めて生きることが、(今でもそうだが)ほかの何と比べても辛いことだった。
だから、演技というものに惹かれた。
自分以外の、他の誰かの人生を作り上げることに憧れた。
しかし通っていた中学校には演劇部がなかったので、肺活量をつけたいということで吹奏楽部を選んだのだ。
そして話は高校へ。
私が行きたがったのはもともと今通う学校ではなかった。
親が塾と相談して私に勧め、行きたかった所を否定されてどうしていいかわからなくなったがゆえに流された結果の場所だ。
演劇部があったのは幸いだったが。
そうして何も迷うことなく演劇部に入部。
しかしこれまたコンクールには出るけれど、みたいなちゃちな演劇部だ。
同じ地区に、圧倒的な強者である私立の演劇部がある。
加えてうちの部活にはそんなに予算がない。ついでに人もいない。
そりゃぁ、大したことなんてできない。
そもそも舞台なんて大した設備じゃない。
机をどけて窓という窓にダンボール製のボロい暗幕を貼り付けた教室、パーテーションを置いて区切っただけの狭い舞台、配線が丸見えのあちらこちらから繋いだLED電球と、1m離れているかどうかすら危ういくらいに近い客席の最前列。同期は自分を含めて全員演劇未経験者、脚本は自分達で書いた善し悪しもわからないとりあえず会話をして話の進む体のもの。
それでも私は演劇にこれ以上なく魅了された。
だって、息がしやすかったのだ。
役作りをして、舞台に立って、演出を部活のメンバーと一緒に考えて。
セリフの通り、台本のとおりに動く世界。
相手の感情の動きも次に自分が見る先も全て知っていながらそれを全部「知らないもの」として生きる異空間。
私は、あそこが大好きだった。
あそこに立っているあいだは、他の人たちと同じように息ができた。
何も考えずに笑って、泣けた。
生も愛も、屈託なく叫ぶことが出来た。
舞台に立っているあいだだけは、私は人だった。
この感覚について、少したとえ話をしよう。
仮に、何かしら生育に手のかかる熱帯魚かなにかを飼うとする。
魚を飼ったことがないので全てエアプだが少しインターネットに頼って調べたりはした。
水を用意する時の話だ。
「自然のものだから」とそのまま適当な川や池の水を使うだろうか。
「綺麗な水でないといけないから」と元から綺麗な水にさらに殺菌や消毒をするだろうか。
「ヒトにとって慣れ親しんだものだから」と水道水をそのまま入れるだろうか。
どれも否である。
水道水に対して濾過をしたりカルキ抜きをしたりと、適切な処理が必要なのだ。
私にとって、役作りはこれに似ている。
現実にも虚構にも寄りすぎないように、「自分」は残したままで役を理解して、馴染ませる。
少なくとも「私の役作り」は、そういう工程だ。
ここでいう水は、「私にとって行きやすい場所」、正しくいえば「キャラクターが自然な動きをできる下準備」みたいなもので、私はそれに従ってしまえばあとはなにも怖くない。
だって、客観的に見た自分が固定されているから。
自分が今どのような人間なのか、どのような感情の動きをするのか、どのような立ち居振る舞いをすれば自然なのか。
それらが全てわかった状態なのだ。
これほどまでに私にとって息がしやすい環境はない。
人とは元来未知を恐れるつくりになっている。
「わからない」を無くすために言語化して、技術で解明して、数式に当てはめて、規則を探して。
それを、自分が演じるキャラクターの人生でやるようなものだ。
それに、台本によっては自分がずっと言いたかったけど言えなかったことを役が変わりに叫んでくれる。叫ばせてくれる。
これ以上に自由な世界があるだろうか。
視野も価値観も狭い私にとっては、舞台の上が、演じている時が、何よりも自由で幸福な時間だった。
正直支離滅裂で、下手をすると何を言っているのかわからないものになっているだろう。
私も落とし所を今見失っている。
結局何が言いたかったのかと言うと、私にとっての演劇は生きる術だったということだ。
だから引退してしまった今、正直どうしていいのか検討がついていない。
私には、将来の夢から逆算して大学を選ぶ権利なんて与えられなかったから。
きっと、中学に入る前から。
だから、せいぜい唯一持っている若さを失ってしまう前にどうにかする方法を見つけたいなと思っている。
もしかすると億が一くらいに夢は叶うのかもしれないし、やりたいことの幅が広がって程よく生きているかもしれないし、これを言うと色々なところからお気持ちがぶつけられそうだが結局これが一番楽だとアイキャンフライするかもしれない。
そんなもの、まだ成人もしていない一介のクソガキ:私にはわからないけれど。
とにかく、楽になれたらいいとそう思っている。
誕生日おめでとう私。
死ぬにしても好きな文豪の誕生日か忌日にしてほしい。
あと、仮にそうするとしても決めた日付の1ヶ月以上前から色々なもののアカウントは消してくれ。
読んでくださった方、お付き合いありがとうございました。
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