アルコールと無為な日々

約二ヶ月前に20歳になり酒とタバコが解禁されたのだが、未だにタバコは吸っていない(茶煙草は吸っている)。歳をとるのが既に恐ろしい。


前のブログにも書いたが酒を飲んだ感想は「苦い」であった(自分は呆れるほどの甘党である)ので、20歳になる以前周りに散々心配されたようないわゆる酒浸りの状態にはなっていないのだが、時たま思い出したかのように酒を飲むことがある。

飲むと言っても苦いものが苦手でアルコールの風味に舌が合わなかったのでほろ酔いとかみかんのお酒とかその辺しか飲めないのだが。

思い出したかのように弱い酒を幾分か飲み、酔うわけでもなく、肴だけを僅かに食べる。そんな飲み方である。どちらかと言うとツマミが美味しいからついでにちょっと飲んでみる、と言った感じだ。

意味の無い飲み方、と言ってもいいだろう。

毎回酒を少し飲んではノンアルの方が美味しいな、と思う。そう思うので、どうせだからノンアルコールのやつを飲んでみようと思ってよわない檸檬堂を買って飲んでみたが、檸檬堂は檸檬堂の味がした。


思えば、創作というものから少し距離が空いた。あんなに毎日脅迫されているかのように、取り憑かれたかのように筆をとっていたのに、今ではそんな事しなくても息ができることに気がついてしまった。

一切を辞めた訳ではなく、今も演劇は続いているが、それでも以前よりもほかの創作活動をする頻度がぐんと落ちた。

やらねば、とは思うが、手が動かない。夢の中では様々に創作をしているのに、現実では何も作り出していない。

自分にとって、やはり創作とは逃避だったのだろうか。私はもう何かから、現実から逃避する必要が無くなったのだろうか。現実が、毎日が、以前より苦にならなくなったのだろうか。それはやはり家族と少し距離があいたからなのか。だとすれば、私はなんて家族不幸な女だろう。しかし夢の中では起きた時にはもう思い出せないような創作をして逃避を続けている。その分夢の方が現実に近いのだろうか。

そんなことを思いながら弱い酒を流し込む。


私の毎日は、おおよそ満たされていると言って過言ではないだろう。

話の会う友人がいる。好きでやっている演劇も楽しい。授業は程々にだがそれなりにちゃんと受けている。家族とのコミュニケーションも全てが絶えた訳では無い。衣食住に困らない暮らしをして、こうしてインターネットの片隅に好きに住んでいる。大きなトラブルもなく、大きな変化もなく、ただ毎日を過ごしている。

これが満たされていなければなんなのだろう。

しかしどこか、何かが寂しい。

薬を飲んでも眠れない夜、自分の心音と呼吸音を聞きながら侘しく思う。

起きるにはまだ早い朝焼けの頃にふと目が覚めて、自分はまるで無為だと思いふと死にたくなる。

生きたいとは思えなくて、自殺衝動だけ、自傷行為だけがマシになった希死念慮に窒息する日々。

こんな私は、一体何になれるのだろう。

一生がずっとモラトリアムな気がしてくる。

それでは行けないと思いながら、それでは生きられないと思いながら、ぼんやりと死にたくなる。誰か他の人に相談できるわけでもなく、ただ毎日、満更嘘でもなく普通に誰かと笑いあって過ごしている。

高校生の頃に書いた今にも死にそうな何かを孕む危うい文章はきっともう書けない。

成長とは、諦めの類義語である、と思う。

私はきっと、幾分か成長したのだろう。

毎日イヤホンのコードで首を絞めて自分の腕を剃刀で切り付ける日々は、もう終わったのだ。

いつかきっと、甘くもない酒を美味しいと思うようになるのだろうか。

どこまで自分が何かをあきらめることが出来てしまうのか、今はただそれが不安である。

人生エラー

カフェイン依存系鍵垢在住底辺字書きの墓場

0コメント

  • 1000 / 1000