夏、はじまり、檸檬堂

夏である。

数日前、めでたく二十歳になり、酒と煙草が解禁された。喜び勇んで飲めるなら飲まねばと酒を数種類飲んだのだが、感想としては「苦い」であった。それなら今後もノンアルコールの方がマシである。初めての飲酒で酔いはしなかったが、限界量を知る必要もひとまずはあまりなさそうである。

大学二年、夏休み。

予定は旅行とバイトとサークルの三択。

一つだけアナログで提出しなければならなかったレポートを提出した帰りに、大学敷地内に植わった白茶けた紫陽花を見た。蝉の声と、なんだかよく分からない虫の声がしている中、刺すような日差しを避けて影に守られるように歩いた。もう、十分すぎるほどに夏である。

将来の展望はまだない。行動が遅いのでそろそろ考え始めなければ就活に間に合わない気がしている。先日、成人式の振袖を決めたばかりである。大柄の月下美人が描かれた白黒のものである。そろそろ本格的に、痩せなければ、と思った。

肥え太り、醜いままの自分。高校生の頃、一番恐れていた自分の姿。演劇という仮面では体型は隠せない。怪優奇優侏儒巨人美少女等、の中では少なくとも侏儒や美少女なんかではない。そういえば美少女と言って差し支えなかろうと思っていた後輩が少し前に登校にかかる時間の長さに困難を感じたとしてサークルを辞めた。万年、人が足りないのである。

電車の中は割合空いている。皆夏休みなのだろう。バイトはもう夏期講習の時期である。忙しくなるぞ、と思うが、忙しくなければずっと天井を見つめて死んだような毎日を過ごすだけなのでそれで丁度いい。何かが確実に精神を蝕んでいるのだが、それが何かわからない。私は自分がなぜ辛いのか、なぜ楽しいのか、何もわからない。惰性のまま生きていると言って過言ではない。少し変わったことがしてみたい、とだけ思う。時間があっても何もしないのだから、必要なのは時間ではなく行動力だろう。長らく小説を書けていない。絵もあまり描いていない。何もかかなくても息ができると知ってしまったからである。ただ、怠惰。それだけである。

最近ピアノに触れていないな、と思った。だからといって何という訳でもなく、ピアノもまた生活必需品では無いのだが、自ら娯楽を削っているようで馬鹿馬鹿しい。自分の好きなことを、何もやらなくなった。時間があっても、自分の好きなことをやろうとしない。なんのための趣味なんだ、と思う。大学一年生の頃はもっと忙しくあれをしてこれもやって、としていたような気がするのに。生気を失う、という事なのだろうか。今のうちから生気がないのでは、今後どうなるかわかったものではない。

高校の時と違って、将来のことをよく考えるようになった。ような気がする。

将来、すなわち大学を卒業したあとのこと、全て自分で決めなくてはならなくなった時のこと。自分は生きていけるのか、と心配になる。なにせ姉が帰ってくるという理由がなければ冷蔵庫が空っぽで素麺とコンビニ飯だけで生きていた女なのだから。生活力というか、なんというか、スキルはあるのにそれを活用できない。こんな感じでは未来が不安である。不安ばかり抱えて生きている。今のことにある程度は必死だが、将来のことも考えないといけないのだと思うと気が重い。周りの人は、どうやってそれを決めたのだろう。聞いてみた方がいいのかもしれない。教えて欲しい。末っ子だから、ある程度は周りの人間を見てやれるようにやってきたはずである。

書きたいことも特になくなってきた。最近ダイエットをしようと思って買ったリングフィットアドベンチャーはサボってしまった昨日と一昨日を抜いて約二十日目である。とりあえず一ヶ月は頑張ろうと決めたのだが、なんとも言えない。痩せている気配もない。どこまで続くか見ものである。

それでは、コンビニで好きなアイスを選ぶためにこの記事を終わる。


追記

コンビニでついでに檸檬堂を買った。

飲んだ感想は「これも苦い」「檸檬堂は酒」であった。5%でも苦いのだからそもそも味覚が酒にあっていないのだと感じる。

人生エラー

カフェイン依存系鍵垢在住底辺字書きの墓場

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