未明の意識
最近、文章や絵をかいていないなと思った。
そんな気力もなく、学校もバイトもあるからと言うのが言い訳だが、文章を書くという感覚を忘れてしまうことが怖い。なのでなにかを書こうと思った。しかし書くネタが無い。ならどうするか。自分のことを書くのが手っ取り早いのである。
いつも通りの自分語りだ。特別なことは出てこない。
考えてみれば、自分の人生にまともに向き合ったことがないような気がする。
親の都合で転校を繰り返し、当たり前のように地元の中学へ進み、塾の先生に勧められた高校へ行き、親が許してくれる大学に通い、姉とおなじバイトをしている。
恐らく高校くらいまで、服を買うにしても家族が着いてきた。親が悪い顔をしない服と靴を身につけて、ダサい制服をダサいまま着て。自分の体と顔が露出しないように化粧品を顔に塗りたくり、長い袖を捲って二の腕を隠した。
うすぼんやりと濁った目で将来への不安を抱え、目の前の課題はできるだけ後回しにしたりなんかして。消えることのない希死念慮だけが唯一不変なもので、自分を自分たらしめる感覚。心療内科に通ったって、死にたいと思う感覚は消えなかった。
きっと普通では無いのだろう。普通にはなれないのだろう。普通を装ったって、嘘が下手な私にはそれを完璧に隠し通すことなんて出来なかった。今なお付き合いのある友人はなぜ私と関わってくれるのだろうか。それもわからない。私には、私と付き合いを続けるメリットがわからない。
大学生になって、自分の好きな服を買って、親がいる時には絶対に履かないような高いヒールを身につけて、好きな物だけを食べて、今はのうのうと生きている。生活能力も生存本能も息をしていない。高校生の時にカップ麺とエナジードリンクだけで生きていそうだなと想像した大学生像そのまんまの自分。生きようとはせず、しかし現在は死のうともしない無気力な自分。一体今後どうなるのか見通しもつかない毎日。不安ばかりを抱えて瞼の裏を見つめながら意識を飛ばす毎日。
唯一持っている若さももうじき私の手から離れていく。それに対する恐怖と不安だけが確かにそこに存在する。どんどん退化していくような気分。それだけが今の私である。
思えば、創作というものからも、随分離れてしまった。離れても息ができることを知ってしまった。作品を作るのは自分でなくてもいいと知ってしまった。もう何かを書ける気がしない。何かを生み出せる気がしない。私には、既に何も無い。もうおしまいだと思ったって心臓は動くのに、さあ始めようと思ったって頭と手が動かない。本当に、何も無い人間になってしまった。早くアカウントを消してしまいたいと思っているが、数タップで済むようなそれにすら手が伸びないでいる。怠惰である。全てがそのまま怠惰の結果である。朝起きれないことも、演劇をやっていることも、環境が変わらないことも、アカウントを消さないでいることも、死なずにいることも。ここまで来てしまえば、人間は終わりだろうと思う。早く終わってくれと願っている。行き場のない希死念慮だけが私に残ったものだった。喉が焼けそうな炭酸のエナジードリンクをストローで流し込んで今日も心臓を無駄に動かしている。それでも体は健康である。きっともう終わり、と思う度に心臓の音や呼吸の音が羽虫のように鼓膜を震わせて、それがとんでもなく不快に思われる。線路へ足を踏み出すきっかけも無いまま凡庸に生きている。不幸もないまま。
多分、自分が認識できていないだけで何かがストレスになって、それで今こうして底まで沈むことになっているのだろうとは思う。しかし本当にそうだったとして私に何ができるだろう。心地よい布団に包まれたまま呼吸が止まっていくような何も無い日々は、私の目が濁っているから光らない。
私は、何になれたのだろうか。
0コメント