日記

過去の自分に喧嘩を売った。

何の話かというと、pixivに投稿した文章である。

過去、確かツイートで「台本書きは小説ではない」「戯曲は二次創作でやるものじゃない」と呟いた記憶がある、し、探せばそれはきっと出てくる。今回、二次創作であるのに戯曲を書いた。演劇馬鹿が顔を出した結果である。

実際、私は今回書いたものを小説とは呼ばないし、呼ばれたら訂正しに行きたいくらいのものである。が、どうやら、一般的に趣味で書く文章の体裁をこれほど気にする人は少ないらしい。読む側でも、書く側でも。

一度、仲良くさせてもらっているフォロワーさんの一人に「字書きなんて文字書いてれば字書きなんだよ」と言われたことがある気がする。確かにそうだなと、今なら頷ける。文章の体裁を気にするのは自分のこだわりであり、他の人に押し付けることではない。そのことは勿論以前から理解しているし、わざわざ他の人に「文体がおかしい」などと言いに行ったことはない。それでもどこか頷けないところが自分の中で燻ぶっていた。

最近そのあたりの話を「文字書いてれば~」のその人も交えて(比較的)ゆっくり話す機会があり、さらになんかいろいろあって承認欲求がいったん落ち着いたのもあって改めて振り返ったことがある。

結局、創作なんて自分のエゴであるということだ。

自分で頷けない(半角カタカナとか)表現が入っている物は「そういうもの」として横においておけばいいし、自分のこだわりを需要がどうの読みやすさがどうのと考えて曲げる必要もない。というのを、以前自分が書いたものにいただいた感想を再度見直しつつ思った。自分が書いたものを読んでくれる人がいることは、本当にありがたいことである。

それはそうと、自分の文章はあくまで「小説」という体裁を保ちたいので、今後もこだわることは変わらない。実際今こだわりで筆が止まっている物が一本あるが、まぁいずれ完結するだろうと未来の自分に託している。早く書けと自分でも思うけれど。


高校生の頃に小説を書き始めて、今まで累計何文字ほど書いたのだろうか。相変わらず構成をしっかり立てても全体を長く書くことは苦手で、十万文字を超える小説を書いてみたいという気持ちだけは元気に持っているが、それもさておいて多少は表現も上手くなっただろうか。過去の文章を衝動で消す癖があるのであまり比較対象にできそうなものはないけれど、高二かそこらで書き始めたので約二、三年は経っているはずである。

あれこれ色々な物(絵とか作曲とか演劇とか)にも手を出したので総合的な歩みはきっと遅い。劣等感だってなくなったわけではない。事実、最近は絵が上手くなりたくて投稿もしないものを色々描いては「なんか違う」と首を捻る、を繰り返している。どうも欲張りな性分らしいので数年単位で考えるようにしたい、と常々思っている。刹那主義的な人生観は高校のころと変わらない。「自分のため」を念頭に自己責任で生きたい、とは思っているがそれもどうだか。色々寸足らずな人生である。


すぐに話が逸れるのも相変わらずだな、と書きながら思った。話したいことがたくさんあるのに話す相手がいないからかもしれない。大学の自由すぎるかつ長すぎる夏休みはまだもう少しある。サークルの活動もほとんど無し、半分以上独り暮らしのような形の生活。自分が思っているよりもずっと一人が苦手なのかもしれないが、それもどうしようもない。独り言も多分増えた。鼻歌も。好きなことをするのにはまだ罪悪感が付きまとうけれどいつかなくなればいいなと思う。

このブログを書き始めたくらいの追い詰められていた状況から解放されてずいぶん経って、過去の自分に「いつか楽になるよ」と言えるようになってしまったことが、今は何となく、一番悔しい。

過去の自分に、愛の代わりに皮肉を込めて今回の日記をしめる。

人生エラー

カフェイン依存系鍵垢在住底辺字書きの墓場

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