紫陽花と連想ゲーム

梅雨が、随分早かったように思う。
既に最高気温が25度を越す日がそこそこに出現しており、蔓延防止だか外出自粛だかで夏服を買いそびれている身には眩しすぎる夏の気配がそこにいる。今も電車のすぐ外に。
外をふらふら歩いていると紫陽花に出くわす機会が増えた。満開だったり、咲きかけだったり。

花は基本的に季節を問わず好きである。
絵も、どちらかというと人物より自然物を描く方が得意な方(だと信じたい)。
現在使っているスマホのカメラの画質がすこぶるいいものだから、前のスマホでも写真をよく撮っていたが更にあれこれ軽率にシャッターを切るようになった。

この季節は紫陽花が好きである。
満開になった時の丸っこいフォルムだとか、青く大きく開いた葉だとか、そういうもの、どうしてあんなに水滴が似合うんだろうと思う。
雨の季節に咲く花は、とことん雨にまつわる姿が映える。ような気がする。
指先でつつけばころんと落とせてしまいそうな、重たそうな満開の紫陽花が、非常事態宣言が明けて久しぶりに行った大学の構内にも咲いていた。大学の紫陽花の中で現在大ぶりに咲き誇っているものは白が多い。おそらくそういう品種だろう。カメラロールに綿帽子みたいな静かな華やかさが踊っている。
狐の嫁入りみたいな天気はなくて、どちらかというと最近は雨なら雨、晴れならとことん晴れ、みたいな空が多いように思う。それゆえ気温差とか気圧差でダウンすることもあるけど。
でも、基本的に、自然現象とか自然物は好きだ。
夏の暑さも日差しも、あれこれ言いながらなんだかんだ好きなように楽しみはするし、それこそ梅雨の天気も濡れたアスファルトも、ただのビニール傘でもそこから透かした景色が好きである。
目に映る世界の彩度が、多分周りよりも少し高めに設定されている。
だから情報量はきっと多いし、代わりにどこか必要なものが削られている事もきっとある。
まぁそれでも自分の見知った世界はこの彩度で、この情報量。
それをシャットアウトしていないのも自分だから、そう、例えば今電車の窓に広がる緩やかな河川の水面が暴力的に光ってることとか、そういうのも結局好きなんだと思う。
友人に何度か「人への期待値が高い」と言われた(教えてもらった?)ことがあるが、おそらくそれは人への、というより世界への、だと思う。知らないけど。

知らないことを知る時の、好きな小説の新刊の1ページ目をめくるような気持ちが案外好きだ。自分の興味が向くものに限るけど。
頭の中ではいつだって色んなところに踏めばほかの知識へ思考がすっ飛んでいくリンクが貼られているし、ときたま会話でも連想ゲームの途中を飛ばして言葉にしてしまうから絶妙なラインの相互不理解ディスコミュニケーションが生まれたりするけどそれも案外好きだったりする。

広く浅い知識だけど、案外知識自体はあるらしいことを最近知った。

何の話をしていたのか忘れそうなので、今日取ったばかりの紫陽花の写真を載せておく。
手前から奥へ向かうにつれてグラデーションになる色合いも、一つ一つが小ぶりなものと大ぶりなもので開花具合が違うのも、どれも綺麗で、華やかで、可愛らしくて好きだと思った。

少なくとも暫くは、飽きるまでこういう好きな物の共有ばかりしたい。嫌いなもの、苦手な人のことは考えるだけ辛くなるし表に出したっていい事がないから。ざまぁみろ、好きに嫌えばいいしその分その倍以上は私はあなたが嫌いだよ、なんて言ってやる暇も惜しい。家で陰鬱とひとりで籠らなくていい有り難さ! 目に映る情報量をどうにかしないと行けないのだから、そんなことにリソースを割いていられない。

好きなものを好きと高らかに楽しむひとを見るのが好きなので、少しでもそれに近付きたいという下心も多少あり。
基本定住してる鍵垢のフォロワーからしたら「いや病んどるやんけ」と言われるかもしれないけど、それはそれこれはこれ。ところ変われば人も変わるってことにしておいてほしい。
新味のZONeが案外美味しいので今日は家に帰るまで、ついでに帰ったあとも満点である。晴れているうちに洗濯物を干してしまえたらいいなと思いつつ記事を締める。

人生エラー

カフェイン依存系鍵垢在住底辺字書きの墓場

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