夏が終わってしまったような自覚
青春と呼ばれる季節の流れは速い。
1日を通して謎の全能感と、それに相反する無力感でペシャンコにされてしまって、24時間ではとても足りやしない。
やりたいこととやらなくては行けないことが沢山あって、前者を削れば精神がやられ、後者を削れば未来がやられる。思春期なんてものは、割に合わない季節だ。
殊に私は血迷って創作なんてものを始めてしまったから、慢性的に睡眠と健康が削られている。目に見えていたこと。
そんな夏。
そんな高校生活。3年目、もう後半。
私は、弱小公立校の演劇部員だった。
これを過去形としてしまうことに未だに慣れていない。
演劇を、やっていた。
魅せられて、魅せたくて。
創りたくて、為りたくて。
数少ない、全て自分から望んでやったことだった。
でもそれも、数日前の文化祭とともに終わってしまった。
舞台のために引き散らしたコード、サスの電球のなまぬるさ、教室内に並べて組んだパーテーション。数メートル4方に収まる世界。
誰の目も見つめず、ただ恋するように愛した狭い舞台の呼吸を、言葉に出来ないところでまだ自分の肺が覚えている。
いざ終わった瞬間、私は泣けなかった。
あんなものではまだ足りなかった。寂しかった。
後ろ髪と尻尾と名残を残して、演者たる私は、私達だけは、きっと、それを掴もうとしてはいけないのだ。
「私」が死ぬシナリオだった。否、死んだシナリオだった。
もしかしたら数ヵ月後に現実になっているかもしれないような。
私が、無事目標通りに高校生のままに時を止めたifの世界。
あれが取り残されるのは、舞台上だけで良かったのだ。きっとそうだと思いたい。
片付けを済ませて帰る時の、赤色には早い、黄金と薄水色の上に敷かれた波の雲を覚えている。
リュックと背中の間にじっとりと濡れたカッターシャツの不快感と、器用な友人が編み込んでくれた髪にこもった熱が、まだ鮮明なまま張り付いている。
喉を焼いた「私」の慟哭がまだ口をついてするりと取り出せる。
くずおれて地に着いた「私」の膝がよろめくタイミングを、まだ完璧に演り直せる。
暑い朝だったのだ、その日は。
緊張で脈打つ心臓の送り出した血液の温度でしかなかったかもしれないが。
暑い夕日だったのだ。
なにか感傷に浸ることもなく軽い会話をいつも通り交わした帰り道が。
それが、今日登校のためにアスファルトを踏む瞬間、妙に涼しかったじゃないか。
青春なんて不平等だ。
結局私の人生の主役は私じゃなくて、キラキラ輝く女の子でもいられなくて、なれなくて。
朝にも夕にも太陽がこちらを向く、駅と学校の間の道も。
リノリウム光る緑の廊下も。
やけに曇った、彩度を下げるフィルターがかかったような教室も。
嫌にキンと涼しかった。
夏なんてものは、数秒にして走り去って逝ってしまった。
向日葵やトルコキキョウが好きなくせに、私は夏に死ねなかった。
私は、いつまでこんなことを続けるのだろうか。
願わくば、できるなら、走れば汗が首元を濡らすうちに、そっと死んでしまいたい。
まだ夏の残滓に私が囚われているうちに。
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